夢と妄想
チャプレンのことば
2018/10/11
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
チャプレン 金 大原
夢と妄想
紀元前8世紀、中近東一帯に戦雲が漂っていた時、イスラエルの預言者たちは、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とし、人々が戦うことを学ばない世の中を夢みていた(イザヤ書2:4)。抑圧と搾取が蔓延する中で、彼らは、狼は小羊と共に宿り、豹は山羊と共に伏し、子牛が若獅子と共に育つ、というバカな夢をみていたのだ(11:6?9)。
夢みる人は、皆が当たり前のように受け入れてしまうことに疑問を提起し、他の選択肢もあることを人々に喚起させ、先が見えない絶望の中で希望を見出す。すると妄想家だと冷やかされることもある。
夢と妄想の違いは何だろう。今とは違う可能性を夢み、それを実現するため体を動かせる人は夢みる人で、違うことへの憧れはあるが、日常を離れることのできないでいる人を妄想家と言う。世の中は夢みる人とその実現のための苦闘によって変わってきたと言える。
わたしたちは今どんな夢をみているだろう。それが妄想とならないように。
夢みる人は、皆が当たり前のように受け入れてしまうことに疑問を提起し、他の選択肢もあることを人々に喚起させ、先が見えない絶望の中で希望を見出す。すると妄想家だと冷やかされることもある。
夢と妄想の違いは何だろう。今とは違う可能性を夢み、それを実現するため体を動かせる人は夢みる人で、違うことへの憧れはあるが、日常を離れることのできないでいる人を妄想家と言う。世の中は夢みる人とその実現のための苦闘によって変わってきたと言える。
わたしたちは今どんな夢をみているだろう。それが妄想とならないように。
※本記事は季刊「立教」245号(2018年7月発行) をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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